新型コロナウィルスと映像メディア
- Tomizo Jinno
- 2020年1月30日
- 読了時間: 2分
更新日:3月28日
「人ー人」感染
ついに日本国内で始まったという報道を目(耳)にして、それにしても新聞、テレビの報道はこの「フェイズが一段上がった」ということを、いまひとつ深刻に表現していないように思う。
「報道管制?」もしくは「報道の忖度?」
僕は「日本人ー日本人」の人ー人感染が始まったということは、これはもう行き着くところまで行くのだろうな、と想像して、自身で打てる手はすべて取ろうと思っているのだけれど、現在の報道レベルは「もう少し様子を見よう」くらいにしか視聴者に受け取られていないんじゃないか?
想像力(妄想力?)の違い?
「そういうふうにしか見えない」というのは、たぶんウィルスは目に見えないし、罹患した患者の様子や、家族が死んで悲しむ様子などが伝えられているわけでもないので、「ことの深刻さがビジュアル化されていない」せいではないかと思う。
言われただけではことの重大性に気づけない
そういう人が多いと言ってしまえばそれまでだが、人は誰でも目の前に事実を突きつけられない限り、信じたくないものは信じない性質の動物だ。そういうことは、僕らのような映像で情報を人に伝える、という仕事をしている人間は、イヤというほど知っている。
深刻さを伝えるには?
たぶん、政府も行政もメディアも、「伝える側」だから「怖い」ということもあると思う。伝えた情報が世間にどんな風に受け取られ、どんな反応、行動が返ってくるのか、普段は「広報担当だから」と粋がっている人間も、こういう時の判断は、できれば「自分ではやりたくない」だろう。
いつ、どこまで深刻そうに伝えるのか
映像にできる仕事は実は大きい。反面、だからこそパンデミックを描いた映画などを今、テレビで再放映したら大変なことになるだろうと、想像できる。それくらい映像の力はデカい。
僕だったらどういう映像をいつ流すか・・・考えてみてもわからない、というのが本音。
映像は怖いのだ。
業界の人間ならそんなことは知っている、わかっている。
だから、今の報道はこんな感じなんだろう。
たぶん、そういうことだ。
納得。

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