ネットニュースとメディアリテラシーと認知バイアス
- Tomizo Jinno
- 2020年12月15日
- 読了時間: 7分
更新日:3月25日
B2B映像と認知バイアス
認知バイアスという言葉をご存知と思います。誰にでもあるものの見方や考え方の偏りです。偏りというと聞こえがよくないけれど、「思想」と同義に近いものだと思います。
クライアントのご担当、上司(決済する人)、組織風土、業界。ならびに、訴求対象となる人々や集団、組織、業界。これらの方々、組織、集団のバイアス性向を予測しながら、企画を練り、シナリオを組み立て、映像を創作する・・・それが僕らB2B映像制作の仕事の本質です。
視聴者の琴線に触れてメッセージする時に初めて、映像はチカラを発揮するからです。
何が正しいのか
それは人によって、組織によって、集団によって、みな異なることを毎日体験するのが、B2B映像制作という仕事です。だから、僕は自分以外の誰かに「これが正しい」ということを言えないようになってしまいました。
みな違うのがアタリマエなのですから。敢えてそれを口にするのは角がたつじゃありませんか。
メディアコンテンツクリエーター&マネージャー
これを職業とする者は、メディアリテラシーを熟知していると思われがちだけど、案外この職業の多くの人が激しい認知バイアスに支配されているように思います。
例えば、インターネットのニュースギャザリングや自称ニュースメディアサイトの見出しを眺めると、いったいそのサイトが何を目指しているのか全く理解できないものが多いですよね。閲覧数、引用数を稼ぐことだけが命題になっているので、論説にイデオロギーのイの字もないからでしょうか。それでいて、社会を俯瞰しているかのような全能感に支配された振る舞い。これぞ組織的認知バイアス。・・・と思いませんか?
メディアリテラシーの裏をかく
メディアコンテンツを創作する者は、その情報を受け取る人たちのメディアリテラシーを利用して、認知バイアスを引き出すことに日夜腐心しているはずなのだけれど、自信が認知バイアスに引き摺られているようでは、早晩、視聴者・読者にも呆れられる違いない・・・。いや、すでに多くの人がそれに気づいている・・・と信じたい。
望まないのに飛び込んでくるネットニュースの見出しに辟易とする毎日。
もういい加減にやめて欲しい。
ということが言いたかったのです。

匿名という名の暴力
自殺した女子プロレスラーの事件をきっかけに、政界がSNSに書き込まれる「誹謗中傷」に対する対策の必要性を、政治課題に上げてきました。
言うまでもなく、COVID-19に対する緊急事態宣言下の日本社会のみならず、世界でネットを通じたデマや個人攻撃、政権攻撃が人心を惑わす「負の連鎖」を招き、社会の不安化を煽っている面を無視できないという背景もあるものと思います。
拡大するメディアリテラシーの範囲
かつてメディアリテラシーとは、情報を読み解く力とか、報道を批判的な面からも読める力のことを言っていたけれども、インターネットのSNSメディアを通じて誰もが情報発信、あるいは情報伝播に加担できる今は、情報を発信する立場でのリテラシー意識の保持が、情報発信、さらにはネットに参加する者すべての基本的な能力条件になるべきだと、強く感じます。
フェイクは否定しても拡がっていく
少し前の報道で、フェイクニュースに対する「フェイクです」という書き込み自体が、そのフェイクのさらなる拡散に加担していたことを報じられました。今のSNSの仕組みでは例え「シェア」しなくても、「いいね」も「悲しいね」も「酷いね」もそのフェイクニュースの拡散に加担してしまうからです。
「スルースキル」ってなに?
女子プロレスラーは「中傷を受けるのもタレントなんだから有名税」だとか、政治家は人の上に立つのだから「批判をすることは重要だ」とか言われますが、どちらにせよ、それは「事実」に対して行うべき行動であって、事実を粉飾したり、事実でないことを見出しにして記事をアップし「論議」することに、何のメリットもありません。それどころか、内容によっては犯罪行為です。
知識や技能を悪用しないで欲しい
映像をつくる人間、メディアで広告を扱う人間であれば、その職業経験からサイバー空間での情報伝達の仕組みや罠は熟知しているはずです。まさにメディアの「仕組み」「罠」を利用することで、効果的にメッセージすること、そればかり日夜考えているわけですから。
ところが昨今では、メディアに生きる職業人自身が、メディア世界観について未熟なまま情報を垂れ流ししている傾向が散見されます。
謝って済む問題ではありません
フェイクニュースは相手が誰であれどんな場合も「悪」です。例え政治家であっても同じです。フェイク情報の創作、拡散は対象となった人だけでなく、直接間接関係なくすべての人を欺き傷つけます。人間として最低のズル行為です。
フェイクニュースには一切反応してはいけません、それが大原則です。

映像制作業を営む者として、シナリオライターとして、認知バイアスの研究に余念がない僕ですが、この呼び名は初めて知りました。
リンク先にあるように“調査に回答する者が、人から好意的に思われようとする傾向“のことです。例えば「あなたはお金持ちですか?」と対面で問われれば、多くのお金持ちが「私はお金持ちではありません」と回答する・・・そういう傾向は誰でも気付いていると思います。多くの人が、自分の属している社会には「お金持ちは妬まれる(好意的に思われない)」という暗黙の共通認識がある、そう理解しているからです。この質問が非対面、匿名回答というカタチであれば、この調査の正確性はアップするだろうことも、理解できます。
隠れトランプ
前回の大統領選挙で、調査結果がまったくアテにならず、調査会社が大ブーイングを受けた理由は、隠れトランプを見抜けなかったからでした。でも、学問的にも成立しているような統計学、そのプロが考案した調査方法が、ああした大誤算を招きました。この社会的望ましさのバイアスのことだって、知っていてあたりまえのはずです。調査会社自身が社会的望ましさのバイアスに冒されていたのでしょうか?このバイアスは、排除しなくてはならない性向なのでしょうか?
「建て前」と「本音」
考えてみれば、「社会的望ましさのバイアス」が掛かるのは、人に「建前の人格」があるからで、対して「本音」を吐くのはその影に「隠れた人格」があるからです。20世紀末までの資本主義社会が標榜してきた民主主義は、前者の「建前の人格」によって理想的な社会を築き上げようとした社会でした。ところが21世紀に入って台頭してきた民主主義は、民衆の本音をすくいとるようなリーダーを求めるものになりました。ドナルド・トランプはその権化のようなタイプですが、この傾向は世界規模で進んでいるように見えます。
みなが本音をぶつけたところで、解がみつかるわけがない
本音はそもそも「感情」を含んでいるため、他人のそれとどれだけ調整しようと、しこりは残ります。時には長期間にわたる対立の火種になります。
それに比べて「建前」はもともと「感情を抑え、人が社会と調整した理解」です。つまり、本質的に他人との調整の余地があります。民主主義は、より多くの人が安寧にうちに暮らせる理想社会を目指す社会システムのはずですから、他人との調整、妥協は必要です。すなわち、建前を否定しては民主主義は成立し得ないもの。僕はそう考えます。
インターネットが炙り出した「本音」重視
言うまでもなく、本音重視社会の基盤・熱源となったのは、インターネットとソーシャルネットワークシステム(SNS)です。今のような無政府仮想社会とも言えるインターネット社会は、人間の善良な面よりも、本音の中の憎悪の面が強調されてしまうという構造的問題を孕んでいます。この弊害を排除する仕組みは、いまだに考案されていません。単なる検閲とか削除といった「対策」ではなく、「人間の暗黒面を増幅しない仕組み」自体が必要ではないでしょうか。
映像は善良でありたい
たとえ絵空事であろうと、社会が理想を求めるならば、理想を映像にして見せることには意義があるはずです。僕はそんな仕事がしたいと考えています。
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