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映像を構成する仕事をする人はどうして理屈っぽいのか

更新日:3月27日

ドキュメンタリーもやっぱり創作


ということはみんな思っていますよね。 ところで、一般的にはまったく別の仕事と思われていると思いますが、テレビ番組で「報道」に属するドキュメンタリー番組をつくる仕事と、我々B2B映像制作業者が広告宣伝や広報としてドキュメンタリータッチな映像をつくる仕事は、本質においては同一と僕は思っています。どっちも、結局は作り手の主張を表現する仕事だから。

「事実だけを伝える映像」なんて存在しません。

ドキュメンタリーは事実?いいえ、

ドキュメンタリーは事実を再構成して創作する、ひとつの「解釈」です。



論理的に辻褄を合わせるとドキュメンタリーができあがる


「事実」というのは事実であるけれども、それを捉える角度は無数にあり、角度によって意味が異なるものとなる。それをさらに恣意的に切り取り、並び替え、論理的に辻褄を合わせるとドキュメンタリーができあがります。

ちょっと乱暴ですが、これは事実です。さらに事実の角度を別な角度に変え、切り取り所を替え、順番を入れ替えると、それもまた別の辻褄のあった解釈となり、あたかも真実のように人々に影響を与えるものとなります。



どうして理屈っぽいのか


世間から見ると「斜に構えた、理屈っぽい人」と思われることが多い、僕たち映像制作人間。それは、実写(事実としての撮影素材)を編集して映像作品を作り上げる仕事をする僕たちは、いつも「事実」の解釈を360°眺め回しながら、その使い方の可能性を考えているからです。頭の中はいつも思索の中。人の意見にも、ただちに逆の論理をぶつけたくなる習性。これは嫌われます、ほんと。素直じゃないと。

でもここだけの話、テレビや新聞でよく、映画監督がコメントや評論を求められ、その意見がありがたがられるのは、この性格のせいじゃないかと思います。



断定的なもの言いができる人


僕ら映像人間は、物事を即座に断定する物言いをされると、逆に「ほんとかあ?」と思ってしまいます。僕らはものごとの多面性を利用して論理を組み立てて、人を説得するのが仕事だから、簡単に言えば「モノは言いよう」以外の何物でもないと思っています。

同じ広告の世界でも写真カメラマンやコピーライター、CMディレクターといった職の人には、物事を断定的に捉える人が向いていたりします。

僕らとは近くて遠い間柄です。


理屈っぽいドキュメンタリー作家
ドキュメンタリもやっぱり創作

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